きらきらひかる。

きらきらもっと光れ、魔法にもっとかかれ。

あの日、八乙女光担になりました

先日、「八乙女光くんファンになったきっかけはなんですか?」というアンケートを実施いたしました。790名の方にご協力いただき、その傾向に気づきがあり、様々な考えにも接することができました。ファンになったきっかけや時期、私たちの年齢や感じ方、考え方はそれぞれですが「八乙女光くんファン」だというのは共通するところであり、一見バラバラのようでも目を凝らすとそのベクトルは全て「八乙女光」という一人のアイドルに向かっている。それが楽しくて仕方なくて、こんな楽しいことまだまだやめられない!と心の底から感じました。改めて、アンケートにご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。

 

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皆さんに触発されて私自身その想いを綴りたくなったので、今回は私自身の八乙女光くん担としての日々を振り返りたいと思います。

 

八乙女光くん担になるまで】

 私が八乙女光くん担になったのは、2004年10月15日です。今となっては10年以上昔の話ですが、光担になると決心したあの時の高揚感、幸福感やワクワクは今でもはっきりと覚えています。しかしその幸福感を得るまでには長い葛藤がありました。私がアイドル八乙女光に出会い、魅了され始めたのはそれより1年以上前のことです。2003年の初めころだったと思います。アイドル誌で薮くんと頬をくっつけ合い無邪気に笑う姿を目にし衝撃を受けました。なんて可愛らしい子なのだろう、と。元々幼い子が好きで、その自覚もありました。私は、その子が大人になり成長していく様を見守っていくことに喜びを感じるタイプの人間です。(分かりやすく言うとショ〇コンだなんてそんな野暮は言わないでくださいお願いします笑)

初めの頃は「薮くんと光くん2人が可愛くて好き」という感じでした。光くんがいいなと思うこともあれば薮くんがいいなと思うこともあり、当時は山下智久くんという担当もおりましたので、薮くんと光くんどちらか決めかねているという感覚もありませんでした。その気持ちが大きく光くんに傾いたのは2004年初めのことです。2003年1月からテレビ東京で放送していた『Ya-Ya-yah』を初回放送分からまとめて見たのがきっかけでした。見た目の可愛らしさだけでなく愛らしいそのキャラクターに惹かれたのです。放送開始当初は素朴で純真無垢な子供だった光くんが、回を重ねるごとに愛らしさを残しつつもめきめきとパフォーマンス力を上げていく姿に心を奪われました。多くの先輩方から寵愛を受け無邪気に笑う光くんが可愛くて仕方ありませんでした。ふわふわと柔らかく優しい歌声が好きでした。幼いながらも洗練されたダンスが好きでした。そして当時の光くん対しては『自分が可愛いことも、その魅せ方も理解した上でそういう振る舞いをしている』という印象もありました。ただ、それは『あざとさ』とは違い、光くんはあくまでピュアに自身の可愛さを最大限に活かしていた…という、私個人の印象に過ぎませんが。とにかくアイドル八乙女光の全てに魅力を感じました。

ところが当時、光くんは13歳。年齢もそうですがその幼さがその頃の私にとってネックでした。気持ちは光くんに傾いていたものの、誰がどう見ても子供の光くんの担当だと名乗ることに抵抗を感じていました。昔から幼いJrに興味はありましたが担当となると話は違います。今でこそ対アイドルという点においては年齢も幼さも気にすることは無くなりましたが、まだ10代だった当時の私にとっては大きな大きな問題でした。光担になりたい、でも…としばらくの間葛藤がありました。その葛藤のさ中に、私は光くんが出演するコンサートと舞台に足を運んでいます。2004年6月の滝翼22才春魂 北海道公演、これが私が光くんのパフォーマンスを生で見た初めての現場でした。座席は2階後方だったため肉眼でその姿をはっきりと見ることは出来ませんでしたが、声が可愛いと感動した記憶があります。その後、7月には舞台Stand by Meを観に行っています。それでも踏ん切りがつかずにぐずぐずしていた夏の終わり、光くんが3年B組金八先生へ出演するというニュースが舞い込んできました。毎日毎日、そのことばかり考え指折り数えて楽しみにしていました。そうして迎えた第1話放送当日、2時間の間正座で見ていました。息を飲んだりハラハラしたり…そして放送を見終えた時、私の中で何かが吹っ切れました。「光担になろう!」そう決心できたのです。そう決めると、無性に楽しくなってワクワクしました。携帯を手に取り、すぐに同担の友達探しを始めたのも覚えています。それが、2004年10月15日のことでした。この日、私は八乙女光くん担になったのです。

 

【成長】

 私が光担になった当時、光くんは13歳。変声期も迎えていない小さな子供でした。そんな光くんも成長期を迎えます。どんどん大人になっていく光くんに正直戸惑いがありました。私がファンになった当時の光くんは、小さくて、声が高くて、無邪気で、先輩方に抱っこされ頭を撫でられ、ただただ可愛かったのです。でも、どんどん大きくなって、声変わりをして、無邪気さは薄れ、先輩方に頭を撫でられることも無くなりました。光くんの前にもっと小さなJrが立つことが増えました。それが勝手に悔しくて、もどかしい気持ちでいたことを覚えています。2005年頃のことです。キーを低くした曲を歌うことに寂しさを覚え、まだ身長も伸びないでほしいと思っていました。大人になっていく光くんを受け入れ、小さなJrに嫉妬をしなくなったのは2006年頃でしょうか。2006年といえば光くんにとっての一大事は期間限定ユニットの「Kitty」でしたが、私にとっての一大事はそんな大きなお仕事の時期に光くんがお猿さんのような髪型になったことでした。

 

【Hey!Say!JUMP結成】

11年半の光担人生の中での一番印象的だったことはやはりHey!Say!JUMPの結成です。私は光くんがなるべく早い時期にデビューすることを望んでいたし、もっと言うと2007年のワールドカップバレーのタイミングでデビューをしてほしいと願っていました。当時Ya-Ya-yahというユニットのメンバーだった光くんに、ワールドカップバレーのタイミングでデビューしてほしいと願うこと、それが何を意味するのかも分かっていました。Jr内の既存ユニットがそのままの形でワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューした例は過去に無かったのです。それでも、光くんがワールドカップバレーのイメージキャラクターの新ユニットのメンバーとして華々しいデビューを飾るということは、いちファンとして勝手に思い描く大きな夢のひとつでした。

 2007年9月24日、その日は私も結成発表が行われた横浜アリーナにいました。薮くんの名前が呼ばれ、光くんの名前も呼ばれました。このタイミングで薮くんと同じグループでのデビュー。夢が叶った。それはもう最高に幸せな瞬間でした。

そうは言っても、グループとしてのYa-Ya-yahも好きだったので、当時は自分は薄情なのではないかと悩みました。ジャニオタは趣味なので、道を踏み外したことをしているわけではないのであれば後ろめたさを感じることはないはずなのにHey!Say!JUMPいいね!と大きな声で言えないような気持に勝手になっていました、当時は。そして環境が変わり置かれる立場も変わった光くんを見ていて、もどかしい気持ちもありました。歌割が、立ち位置が、扱いが、とか。どうしてもデビュー前と比べてしまい暫くは自分自身の中でぐずぐずとした思いがありました。それでもやはりCDデビューを果たした自担に幸せを感じたし、Jrの頃と変わらず薮くんが傍にいることに安心感もありました。

 

八乙女光担として】

私は、光くんが大きくなったら、デビューをしたら、担降りをするのではないかとぼんやり考えていました。幼い子が成長していく様を見守るのが好きで、ジャニーズJrが好きだったからです。過去がそうだったので、光くんについてもそのうち…と思っていました。それがもう11年半ですから、自分でも驚いています。今後自分の気持ちがどうなるかは分かりませんが、今のところ担降りする気配は全くありません。

私が光担になったきっかけは、光くんのそのキャラクターです。光くんがすっかり大人になった今でも一番を決めるとするならキャラクターを選びます。可愛くてふわふわしていて、天然でおバカで、笑いに貪欲で、でも空回りすることも多くて、可愛らしい光くんが好きです。だからこそというか「光くんは怖い」というイメージがついていたのが正直嫌でした。怖いとか怖くないとか私が知るところではないので「光くんはそんなんじゃない!」と言いたいわけでもないけど、自分で思い描いてきたアイドル八乙女光像が崩れてしまうんじゃないかというもどかしい気持ちがありました。私が勝手に思い描いてきただけなんだけれど。でも最近はそのイメージもなくなってきたような気がして、メンバーから弄られる光くんが見られることに喜びを感じます。メディアを通してみるだけでもそこには長い年月といろいろなエピソードがあったので感慨深いですね。また、可愛いだけではない色んな表情を光くんは魅せてくれます。ベース、ラップ、ダンス、ふと垣間見えるストイックさなど。作詞作曲も多く手掛けていますが、その世界観は多岐に渡っています。ここ数年はメディアへの露出も増え、より多くの顔が見られるようになりました。ヒルナンデスではお料理アイドル、モノマネアイドルとしての顔。最近は猫が苦手な光くんへの弄りも増えてきました。リトルトーキョーライフではえずきアイドルとしての顔。

そして八乙女光を語る上で演技は外せません。3年B組金八先生の丸山しゅう、オルトロスの犬の熊切勝、美男ですねの本郷勇気、37歳で医者になった僕の下田健太郎、ダークシステムの加賀見次郎、ドS刑事の浜田宗一郎。担降りしたばかりの頃に夢中になって見た丸山しゅうに一番思い入れがありますが、他のどの役もそれぞれ魅力や思い出があります。ダークな勝、金髪きゅるるんアイドルの勇気くん、真っ直ぐな下田先生、最低だけど憎めない加賀見(記念すべき初の単独主演ですし!)、本気女装をみせてくれた浜田巡査も…アンケートも実施しましたが、選べないですよね。

 

 

皆さまご存知の通りドラマだけでなく、光くんは舞台へも出演しています。記憶に新しいのは殺風景の菊池稔/菊池クニオ。それからStand by Me、DEARM BOYS2012、その他にもいくつか所謂ジャニーズミュージカルへ出演をしています。ドラマ、舞台問わず今後も演技の仕事を期待していますが、今一番見たいと思っているのは丸山しゅうや菊池稔/菊池クニオのようなヘヴィーな役柄です。見る側も覚悟を要するような、見終わった後に深くため息をついてしまうようなそんな演技が見たい。

私は先ほど、以前光くんが大人になったら担降りするのではないかと思っていたと言いました。しかし現在も、恐らくこれからもずっと光担です(という気持ちです)。それは何故か。光くんがくるくると絶えず様々な表情を見せてくれるからだと思います。近年のメディアへの露出の増加で、その機会も増えています。恐らく今後もその機会が増え、次は光くんのどんな顔が見られるのかと思うとワクワクしています。勢いが加速するHey!Say!JUMPに戸惑いもありますが、私の人生をこんなにも楽しく豊かにしてくれるJUMP、そして八乙女光くんには感謝しかありません。今後も八乙女光担として最高に楽しく最高に愉快なジャニオタライフを謳歌したいです!!

 

まとまりのない文章になってしまいましたが、ご覧いただいた皆さまありがとうございました。